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奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

Softwind 高木里代子ライブ

10月8日 木曜日

Softwind 高木里代子ライブに。Softwindは昔は別の名前のジャズライブの場所だったが、最近オーナーが変わった。

http://www.softwind.jp/

高木里代子さんはここでジャズのライブをよくしているのだが、今日はICJOでの出演。クラブとは違う環境でのハウス音楽。ピアノやキーボードを身近に聞くことが出来て楽しかった。

メンバーは牧野雅己(DJ) 高木里代子(p) 木下るり(vln) 

http://www.icjo.net/pc/top/top.html

お客はハウス音楽のキーボードとしての彼女のファンで慶応大学体育会アメリカンフットボール選手でいまは都市銀行に勤めている二人組をのぞいては、ジャズピアニストとしての高木里代子のファンが中心で、クラブとは縁のない感じ。お店は一杯になった。演奏は僕的にはとても良かった。KMDの同僚のエイドリアン・チオクさんを誘って一緒に行った。高木さんとツーショットを取った。鼻の下が大分長いね。

Softwind 高木里代子ライブ_c0202370_19492286.jpg


エイドリアンはハウスミュージックが好きで、自分でもDJをするという。なのでとても楽しんだようだ。DJがかけたあるLPを聞いてエイドリアンは「デトロイトテクノだ」と言う。詳しい。

そのあと残った人で集合写真。

Softwind 高木里代子ライブ_c0202370_19494377.jpg


そのあとDJの牧野君がオーナーをしているソノラに。おもしろかった。

http://sonora.in/sonora/dj/dj.html

80年代にテクノなどいろいろと新しい動きがあって、最後にきたのがハウスだ。80年代に何があったのだろうか?このあたり僕は前半はアメリカの大学院に留学していたのだが、帰ってきてからはテクノとワールドミュージックの時代だ。なんだかいろいろ思い出してきた。いま手元にないが、『現代思想』の別冊やFM東京でこの辺りのことを書いたりしゃべったりしたことがあるなあ。芝浦のGOLDの音楽やしつらえと、バブルと、テクノとワールドミュージック。いずれにしても、楽しい夜だった。僕も論じてばかりではなくて、一緒に演奏しようかな。

しかし、チック・コリヤウェイン・ショーターのあと、ジャズはどうすればいいのか。これは結構避けてきた大きな問題。古いジャズばかり演奏していてはだめなんだよね。

思い出しついでに、1974年、大学3年生の時僕はアメリカはアラバマ州のTalladega Collegeというリベラルアーツの大学に1年留学した。ここは人種を問わない。黒人がつくった黒人のための大学である。かつては大名門だった。 他に大学に行けないのでここで学んで北部の大学の大学院に進学したりした。Afro-American Anthropologyという論文集を読んで感動して、留学することにしたのだ。Norman E. WhittenJohn F. Szwed が編集で1970年の出版だ。 John F. Szwedの本はその後も僕は読み続けていて、高木里代子のジャズをこれから考えていくときに何度か登場すると思うが、まあ今回は触れないでおこう。

オバマ大統領が登場して、黒人問題をポジティブに議論することは何の問題もないが、35年前、黒人の文化をポジティブに議論すると人種差別主義者のように社会科学の研究者の中では言われていた。「黒人問題」は社会の不正がうみだしたネガティブなものでありそれを是正することが大切だ、という議論が中心であり、黒人問題は白人問題であり、白人が変わるべきだというスウェーデンの経済学者で1974年にノーベル賞も受賞したグンナー・ミュルダール(Gunnar Myrdal)の意見がせいぜいであった。だが黒人の生活を民族誌的手法で記録する研究者の中からいまの黒人の文化は非常に価値があるという動きが出てきたのである。このパイオニアがSzwedで、1980年代始めにはYale大学の教授になって、アフロアメリカ文化と音楽の研究を続けた。僕は黒人文化を民族誌的に研究するという点にとても魅せられて、黒人大学に留学するという冒険に出たのだ。

そこで出会ったものは白人になりたい黒人、アメリカ社会を攻撃する黒人、アフリカからの留学生にくわえて、アメリカの黒人文化をみにつけている黒人たちだった。彼らは「ファンキー」なのだ。また1974年にはすでにファンクバンドが登場していた。白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンである。オハイオ・プレイヤーズコモドアーズアース・ウィンド・アンド・ファイアーなどがTalladega大学の週末のパーティでがんがんかかっていた。リズムは裏打ちで16ビート。ベースのうねりとギターのカッティングが特徴だ。また非常に洗練されたボーカルが加わるところも特徴で、ファルセットをつかって歌っていく。クインシー・ジョーンズマイケル・ジャクソンをプロデュースして大体音楽的な枠組みは固まった。

さて、ファンキーという視点(いや、聴く耳だな)をもつと、つまり、ジャズはファンキーでなければならないとすると、ダンス音楽であることをやめたビーパップはどうなのか、という話になる。だがディジー・ガレスピーですら、踊りがなければジャズじゃないといっているわけで、ファンキーな要素がないジャズは意味がない。マイルス・デイビスはこの問題を考えて活動を続けてきた。これに関してもJohn Szwedなどの本を参考に具体的に書き出すときりがないのでこのくらいにして、でチック・コリアハービー・ハンコックウエイン・ショーターである。チック・コリアは1971年に、ベーシストのスタンリー・クラークらとともに、リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)というバンドを作り、ECMレコードからアルバムReturn to Foreverを発表する。ハービーハンコックもエレクトリック楽器とフュージョンに向かい始める。フュージョンのコンセプトでジャズとファンクを結びつけたが、問題は結びつき方だったと思う。ジャズがポップミュージックからシリアスミュージックに変わって聴衆を失っていたときに、ポップミュージックからジャズに行くか、ジャズがポップミュージックの歩み寄るかで出来る音楽は大分変わる。ジャズマンなのにポップスからジャズに接近するような作品をプロデューサーに作らされた痛々しいLPが多いのもこのころだ。

こんな手詰まり感をものともせず、あたらしい音楽を探しかつ作り続けてきたのが80年代90年代のDJたちだったと思う。ごりごりの主流派からは低く評価されていたJazz演奏者のLPをリミックスしたりファンクの精神でテクノを行ったりといろいろしていたが、どこまでいってもファンクがある。プリンスもそうだ。ここを吸収しつついろいろな音楽と混じっていく。それが21世紀のジャズなのだ。この話はこのくらい。80年代、90年代、おもしろかったけど、70年代の半ばまでに起こったシリアスな音楽の問題を継承できなかったのが20世紀後半でもあるので、21世紀にはこのあたりをしっかりと考えた音楽が出てくるだろうと楽天的に考えている。
by naohito-okude | 2009-10-12 20:03 | Jazzライブ