奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

ラルフ・エリスン研究を始めよう:その2

ラルフ・エリスンの「Invisible Man」を13章まで聴いた。あと何回か聴かないと細かいところは分からないが、非常に感動している。まず、いま僕は55歳だが、主人公が大人になっていく中で自己を確立する過程が、シュトゥルム・ウント・ドラング(独:Sturm und Drang)小説として、大人になっているので、距離を置いてみることが出来る点だ。黒人の知識人が自分のアイデンティティを確立していく過程は日本の明治時代の知識人が自己を確立する過程と似ていて、その複雑なメカニズムを「カウンターディスコース」として説明したことがある。(『アメリカンポップエスティティックス』)エリスンはそのあたりを超絶的な文章力で描ききっている。

19世紀20世紀の非西洋世界に生きていて、西洋文明の中で自己を確立することを要請されている知識人の有り様が描かれている。そうだよなあ、と同感すると共に、いま同じような環境で自己形成をしている20代の若者にエールを送りながらも、ここを頑張らなくてどうする、という気持ちになる。このあたりは追々、説明して行きたい。またカウンターディスコースの視点でエリスンを分析している本も見つけた。Kindleにダウンロードしてある。

もう一つの点はJazzだ。朗読をしている俳優の素晴らしさもあるが、文章がJazzだ。それもHarlemの黒人のJazzだ。洒落ていてビートがあって表現として至高の水準になっている。僕はかれこれ10年近く澤田靖司というジャズ歌手にジャズをならっているが、彼がここはこうゆう風に黒人歌手は発音してビートに乗る、と教えてくれるエッセンスがあるのだが、そのままである。このリズムを感じながらInvisible Manを聴くのは、至福である。Jazzが身体に染みついていて良かったと思う。Jazzマンが随所出てくるところもその雰囲気がよく分かる。本当に凄い作家だ。

さて、13章まですこし粗筋を説明しておこう。

Prologue

ここはちょっと難しい。地下室に1369個の電球をつけて住んでいる。このあたりは解釈がいろいろあるが、アメリカの黒人知識人の伝統のようなものもある。ニューヨークに出てきて、Alain LockeLanguston Hughesにあう。うーん、この二人についても説明したいところだが、後にしよう。ここでルイ・アームストロング"What Did I Do to Be So Black and Blue?"が導入される。これが素晴らしい。また前衛的な記述の中で音や色が提示される。ここの説明だけで、長くなりそうだ。とりあえず、耳に響きを残す。

第1章

大学に行くための奨学金をもらい、その授賞式に行く。お金を出すのは白人で、そのパーティは金髪の女性のストリップショーと、黒人青年のボクシングが見せ物であり、そこで戦うことを「奨学金」をもらっているのに、要求される。このむちゃくちゃな感じをグロテスク祝祭感覚によって、超絶的な文学テクニックで描いている。いまも権力と欲望が渦巻く世界はおなじようなものだ。エマソンはここを描ききる。ドフトエフスキーとエリソンが比べられる所以だ。また奴隷として生き抜いてきた祖父の誇りと奴隷制度への祖父の怒りを主人公が引き継ぐ神話的な記述もある。

第2章、第3章、第4章

主人公はアラバマ州のタスキギ・インスティテュートに進学する。ブッカ・T・ワシントンが作った大学だ。黒人は黒人の分をわきまえて、手に職をつけて、アメリカ社会の中で生きていくことを主張する。モダニズムを否定したワシントンの考えは批判されてきたが、手を使ってモノを作ることで機械がモノを作る資本主義の根本をひっくる返す可能性も実はもっている。これが序章で地下室で工作Tinkeringをしているイメージと重なる。しかし、黒人の場所を作り、白人からお金を獲得して、しかし魂は白人に売り渡さないという高度な生き方を、主人公は学べない。ボストンのエリートの白人(ノートン氏)を、近親相姦で娘に子供を産ませた男が住む家と売春婦達がいる場所(the Golden Days)につれていくなど失態をする。このあたりのエリスンの描写力は超絶的で、T.S.エリオットに匹敵すると言われる。

第5章、第6章

ここは強烈だ。大学にHomer A. Barbeeという牧師がやってきて、ブッカ・T・ワシントンを称える説教をする。黒人の牧師の教会での説教を文章にしている。ここもまた超絶である。ここの描写と朗読がなんとも胸に迫る。そのあと、今の学長であるBledsoe氏に主人公は会う。彼の人種と権力を巡る政治的行動に主人公は幻滅する。が、ノートン氏を引きずり回した責任を取らされて、退学になる。

第7章、第8章、第9章

主人公はニューヨークに向かう。二つの物語が錯綜する。ひとつは学長のBledsoe氏にもらった推薦状をもって職探しをする。その推薦状には「この男を世の中で活動させてはいけない」と書いてある。主人公のイノセンスが現れているところだが、能力があると上の者に認められたにもかかわらず、現状のシステムに収まることを拒否した若者が経験する、ある意味一般的な試練である。

もう一つは、1920年代30年代のハーレムに生きているジャズマンあるいはジャズ的生活をしている人に主人公が会うシーンである。確立した社会システムに受け入れられることを夢見ている一方で、自分を生かしたいとおもっているナイーブな主人公の前に、自分を生かして、いまある社会システムは関係ないよ、というジャズ的信条をもっている人が次々登場する。面白い。

第10章から第12章

主人公は生活費を稼ぐために工場で働く。ここはなかなか考えさせられた。工場で働くことの意味、みたいなことは今でも同じだ。素材を機械で加工して何かを作り出す現場は労働として非常に厳しい。その一方でその場を維持して生産をつづけるということは達成感があってやりがいがある。職人の誇りもここにある。搾取とは職人の誇りを利用して生産を行い、その利潤を生産を担った者に戻さない仕組みである。まあ資本主義はその構造だ。この生産の現場をエリスンは描き出す。この筆力は大変なものだ。主人公は事故にあってこの現場から去る。そしてハーレムに戻る。

このさき続く。
[PR]
by naohito-okude | 2009-12-17 23:43 | 外国語