奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

55歳を過ぎてフランス語とイタリア語とスペイン語を学ぶ その2

12月20日

今週はちょっと抜けたが6回、音読をした。清岡氏の『フラ語入門』はコンパクトに一冊になっていて、さらにCDが付いている。初等文法を音声付きで勉強できるというのは本当に凄いなと思っている。外国語学習法には大きく分けて二種類あり、ラテン語教育に由来するといわれる文法訳読法(Méthode grammaire-traduction)とナチュラルメソッドと呼ばれたりする直接法だ。もともとは文法訳読法が主流で文法規則を論理的な形で提示して、それを使って母語と習得する外国語のの翻訳を双方向で行なう。まあ伝統的な学校での外国語学習の方法である。演繹的な方法だ。もう一つは、ひたすら言語の流れの中において、学ぶ。こちらは帰納的だ。こうした過去の方法の限界が解決するのではないかと、ちょっと思った。楽観的過ぎるかな。

外国語を教える方法論の問題は面白くて、もっと自由に演繹法と帰納法を組み合わせたらいいと思うのだが、結構教授法を提唱している人はかたくななのだ。実は教育学の「方法」ってこうしたものがおおくて、「専門家」が主張する「科学的な方法」って、科学哲学から観ると全然「科学的」でないのに、専門家の意見として通っている。大手の教育系の会社もその主張の根拠は科学的には結構やばいなあという気がする。科学的でなくても効果的な方法はあり、でもそれが効果的かどうかはまあ人によって違うこともあり、いってみれば主観的な世界なのだ。でも外国語に限らず、新しく身体的な能力を身に付けることは可能であり、経験則としていろいろと言われている。上手にお稽古すれば確実に旨くなる。それだけのことだ。茶道や書道、など〜道が付く世界はまさにそうだ。

考えてみれば分かることだが、言語は実践の中で身に付けていくものだ。一つの身体的技能が身につくまでに3000時間と言われている。俗説かもしれないが、一日一時間レッスンをして10年でなんとなく一人前になる習い事を考えてみると分からないでもない。一日1時間で10年なら3時間で3年ちょっと、一日10時間やれば1年。6時間で2年弱。そんなもんだろう。問題はいかに上手にこの訓練期間を乗り越えていくか、である。大人のための英語講座で紹介している国弘さんや行方さんの方法はこうした実践的な見地から描かれている。それにくらべて「教授法」は奇妙な世界だ。

伝統的な方法はGrammar-Translation Methodで、文法を覚え、単語を覚え、外国語を母語にして、母語を外国語にする。この方法が批判されたのはなぜなのか?まあ一番簡単な理由は話せるようにならない、だろう。そこでNatural Method(ナチュラル・メソッド)という方法が提案された。母語を学ぶように外国語を学ばせようとするものだ。有名な方法は、ベルリッツ (Maximilian Berlitz)で、ヒアリングを徹底して教えてからスピーキング、リーディング、ライティングへと入っていった。だが、いくら聞いても大人は聞こえるようにならない。大人はいくら聞いてもしゃべれるようにはならない。ここを改善しようとした方法がAudio-lingual Approach (AL法、オーラル・アプローチ)、いわゆるミシガンメソッドである。20世紀初頭における構造言語学と行動心理学を後ろ盾として、C. C. フリーズ(Fries)によって体系化されたという。Teaching and Learning English as a Foreign Language by Charles C. C. Fries: Pub. Date: January 1945が有名な本だ。彼が準拠した構造言語学では言語を本質的に音声であり、音、語、文の「型」によって構成されると考えている。また、当時はやっていた行動心理学では習慣は刺激に対する反応の繰り返しによって形成されるとされていた。なので、これら二つの考え方を基礎としてパターン・プラクティスを組み立てた。 パターン・プラクティスとは、例えば「私は本が好きです」、という文に対して指導者が「りんご」などのキューを与え、「私はリンゴが好きです」といった文に変形させる、とWebで説明があった。学習者は自動的かつ即座に正しい英文が出てくるまで繰り返し練習する。いまでも出版されている『アメリカ口語教本』などがこの方法を使っているが、退屈で続けるのが大変。

またパターン学習で本当に表現が出来るようになるのか、という本質的な疑問もあるという。Wikipedia「英語教育」から引用すると、「具体的には、教える側は正しい文の模範を提示し、学ぶ側はそれを復唱する(模倣: Mimicry-Memorization)。次に教師は新たな単語を生徒に提示し、生徒はそれを用いて同じ構造の文章を作ってみる(代入:Substitution)。AL法では(ダイレクトメソッドでは)、明示的な文法の解説は行われず、単純に「型」(パタン:Pattern)の記憶という方法が用いられる。パタン・プラクティス(Pattern Practice)と呼ばれる特定の文構造の練習は、それを自動的に用いることができるようになるまで続けられる。この方法では、授業は一定の反復練習に基づいて行われ、学習者が自分から自由に新しい言語パタンを生成するような機会は方法論的に忌避される。教師は言語ルールに基づいた特定の反応を期待しており、生徒が否定的な評価を受ける結果をもたらしてしまうような働きかけは行わない。」とある。

演繹的方法でだめだからといって、徹底的な帰納法で教えようとする。実はフランス語はアテネ・フランセなど語学学校で学ぶと直説法である。また大学では、今は知らないが、僕が大学生だった頃(35年くらい前。時間が過ぎるのは早いね)は上智大学が直説法で教えていて学生はあっというまにしゃべれるようになっていった。(がそのあと、すぐ忘れちゃうんだよね、と上智で学んだ人が言っていた。)この徹底した帰納法に対して、もうすこし緩い方法がでてきた。これがCommunicative Approaches(コミュニカティブ・アプローチ)である。これは欧州評議会の提唱する「ヨーロッパの成人学習者のためのコミュニケーションに必要なシラバスに基づく教授法」であり、コミュニケーション能力を次のように定義して学ぶことを提唱している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Communicative_language_teaching
によると、

1)文法力(grammatical competence):文法的に正しい文を作る力
2)社会言語能力(sociolinguistic competence):社会的な事象(身分、上下関係など)をふまえた文を作る能力
3)談話能力(discourse competence):論理的な文の流れを作る能力
4)戦略的能力(strategic competence):状況に合わせて表現を変えていく能力。

この方法はいま非常に人気があって、大学の語学教育再編というとすぐこれになるが、僕は非常に懐疑的だ。なんというか、人間の言語能力を冒涜している気がする。人間が存在することと言語の問題はもっと奧が深い。母国語が剥奪された状態で外国語で自己表現をしなくてはいけない状況で、ぎりぎりで表現行為をおこなって生きていく。こうしたことも可能なのだ。コミュニカティブ・コンピテンスを提唱したデル・ハイムズはこのあたりまで考えていたと思うが、実際に運用されると、なんだか存在に深みのないネイティブスピーカーが適当にコミュニケーションをファシリテートしている。これとディベートを組み合わせた授業なんて、なんだかいやな感じだ。もっと真摯に言語の問題に向かい合って欲しい

まあ外国語の学習方法の背後にある植民地支配とか移民同化政策とかそいういった政治的な問題もしっかりと議論しなくてはいけないのだが、それはまたの機会にしよう。

さて、こうした「科学的」教授法とは別に、実践的な方法もいくつかある。たとえば、オーラルメソッドである。これは音声学的な立場から子音、母音、音の続き方、強弱、抑揚などを何度も練習させて学ばせ、語、語句、文の意味を直接音に結びつけていく方法である。いわゆる音読主義の御先祖様だ。Wikipediaにオーラルメソッドの項目があるが、考案者はハロルド・E・パーマー(Harold E. Palmer 1877年3月6日 - 1949年11月16日)といって、戦前の日本の英語教育に大きく貢献した人とある。なるほど。

さて、日本の英語の教科書はパーマーの影響で、実際の指導技術にまで細かく配慮して作られているという。日本の英語教科書は彼の指導でまとまりのある文章を中心として構成されていて、中・高等学校の授業では定着した授業手順となっているという。国弘さんが日本の中学校の教科書を薦めるわけだ。うーん、では何が問題なのだろうか。音をきちんと学ぶことが出来ていなかったのだと思う。試験による選抜のメカニズムに組み込まれてじっくりと音読する方法が定着しなかったのだ。それは今も同じである。もったいないことだ。

実践的な語学教育として効果があると言われているものにASTPがある。これは" Army Specialized Training Program(陸軍特別研修計画)"の略で、アメリカ陸軍の兵士を対象にしたプログラムとしてはじまった。アメリカ人で戦後日本文学の研究者になった人などはここの卒業である。これは歴史上唯一効果があったとされる教育法である。。第二次大戦中の1943年に、ペンシルバニアやイエールなど諸大学の協力を得て、ASTPが開始された。その学習環境は外国語学習に適したものだと今でも言われており、1日の全てを外国語の学習にあてて、クラスも多くとも10人という少人数クラスだったという。口頭練習を指揮するネイティブ教員は、drill masterと呼ばれていたという。反復練習のための練習問題つまり、drillを徹底的に行ったのである。

WebでASTPの説明をしているいくつかのサイトからの引用だが、

(1)常に少人数のクラス

(2)毎週10~25時間の授業で、Intensivに行う

(3)指導者は理論と実際に関して特別訓練を受け養成された者、

かつ、その外国語が使用されている地域に永く在住したか、 NativeSpeakerなアメリカ人。

その他にクラスごとに2名のNativeSpeakerがDrillMasterとして補助にあたる。

(4)初期にはSpokenLanguage(聞き方話し方)に重点。

(5)その後読み書き。

(6)口頭での言語運用機会を最大にする。

(7)外国語の学習に関連する風俗や習慣をも指導。

この際、利用しうるあらゆる視聴覚的教材を活用する。

(8)期間は通常6ヶ月。場合により延長して1年間コースを受ける。

短期間に集中的に訓練を行うため、IntensiveMethodとも呼ばれることもある。

出典は大沢 茂 『現代の英語科教育法』 南雲堂 1978とのことだが、まだ確認はしていない。

要するに、言語を音声を主として学習しながらも、同時に文字言語の学習を並行して行い、時間をかけた、ということですね。方法論的にはあたらしくない、といわれていますが、まあ外国語習得方法に科学的な方法なんて無いと考えた方がいい。で、もっと大事なことは語学教育は植民地化とか移民同化政策とか、文化輸出戦略とかに深く関わっている。そこを深く理解した上で言語の問題に向かっていく必要がある。僕らは外国語とどうむきあうか、ということですね。ここは難しいところだ。

で、『フラ語入門』に話は戻る。この本はGrammer-Translation Method(文法訳読法)だが、エクササイズにパターンプラクティスっぽいものが入っている。なのでここはとばす。CDと本を合わせて使うと、例文の意味を日本語で説明してくれる。そのあと、例文が読み上げられる。『フラ語入門』のCDとテキストを使って音読していると、フランス語の文法を日本語で言葉の意味を確認しながら、音で身に付けていくことが出来る。こんなに素敵な方法が40年くらい前には不可能、あるいは特権的な状況でないとあり得なかったわけである。いや、世の中、変わったね。この本も最初はCDなしだったようだし。この方法でどこまで外国語を学ぶことが出来るか、暫くやってみることにする。
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by naohito-okude | 2009-12-22 08:45 | 外国語