Crest ユビキタスコンテンツシンポジウム その1
2010年 02月 16日
久し振りのblog.最近Twitterばかりだったが、これからはこちらも。
今日はユビキタスコンテンツシンポジウム 2010。サブタイトルはデザインとエンジニアリングの境界線。
慶應大学メディアデザイン研究科の稲蔭正彦教授のもとに5年間かけておこなった研究の総括。僕は理論の構築をおもにおこなった。理論から実際のデバイス、そしていくつもの作品、さらにはその制作方法までを網羅した非常に珍しい研究である。
http://xtel.sfc.keio.ac.jp/jp/2010/01/_2010.html
10:40 - 12:10 「親しみのデザイン」
石黒 浩 大阪大学大学院 基礎工学研究科 教授
奥出 直人 慶應義塾大学 メディアデザイン研究科 教授
司会 稲蔭正彦
12:10 - 13:30 休憩
13:30 - 15:00 「美しさのデザイン」
山中 俊治 慶應義塾大学 環境情報学部 教授
稲蔭 正彦 慶應義塾大学 メディアデザイン研究科 教授
司会 奥出直人
の順番で話をした。
さて、石黒浩さん。
2010年の映画『サロゲート』の冒頭で映っているシーンがあるロボット研究者である。自分と同じロボットをネットワークで使って人間とは何かを研究している。そのいみで、自分の代わりにロボットに仕事をさせている未来を映画にした「サロゲート」そのものなのだが、彼の立てている議論は非常に面白い。
ロボット特に人型ロボットというと知能を持っていることが前提だが、彼の提案するロボットは意思を持たない。新しいコミュニケーションディバイスである。非常に精巧な機械の表面にプラスチックの皮膚をつける。そして、それをアクチュエーターで制御して表情を作る。
彼のポイントはこの表情をもつアンドロイドを見て人間はどう反応するか、である。その分身を自分の延長だと意識したとたんに、身体が反応する。つねられるとつねられた気がするのである。ミラーニューロンの働きだ。
人間は無意識に身体を動かしている。そうした特徴も埋め込み、人間そっくりにつくっていく。石黒氏は機械工学と材料工学が一緒になった学科で勉強をしてきたそうで、その両方で学んできたことがこの研究にはよく反映している。ロボットというと、ロボットらしいデザインをする傾向があるが、あくまで人間ににている、外見に似ていることにこだわって研究を続けてきた。三菱重工がかつてつくっていた「wakamaru」というロボットがある。愛知万博に出展された。その中身は石黒氏が開発したそうだ。だが、外見はプロダクトデザイナーの喜多俊之さんである。石黒さんは「ロボットらしい」デザインの代わりに、当時4歳だった娘とそっくりの外観のロボットをつくった。
実際に娘さんと対面させたところ、「気持ちが悪い」といったそうだ。その後さらに研究を続け、30代の女性そっくりのアンドロイドを作る。
さて、石黒氏のすごいところは、このアンドロイドをつかって哲学的な考察、つまり人間とは何かをかんがえていくところである。いくつも著書がある研究者だが、その議論は面白い。まず一番大切なところは、アンドロイドは機械であり、制御の技術が非常に進んだ現在では凡庸な人間の表現力を超えることが出来る。一流の役者のように悲しみや喜びの表情を作ることが出来る。悲しみの精神をもつのではなくて、悲しみの表情をつくることができるのだ。
また壊れていくアンドロイドや修理をしているアンドロイドをみると、生きているとしか思えない。解剖図をみているような奇妙な感覚にとらわれる。このあたりバーバラ・スタフォードの『ボディ・クリティシズム—啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化 』の示した18世紀的知性が身体の内部を切り開くことで形成されたことをうけて、我々は身体を外在化させていくことで新しい知性を生み出す可能性を感じさせる。修理を受けるアンドロイドは実に生々しい。
これは実は演劇あるいは演出術とも通じる。人間を感動させるために演出家は俳優に演技を指導するが、そのときに、役者には心は必要ない。だがこの考えをさらにすすめると、人間にも心は無いかもしれない。石黒氏はドレイファス、ウィノグラード、サールなど現象学に大きく影響を受けている反人工知能研究者と非常に近いところに存在していることが分かる。
さらに感動的なところは、いわゆるロボットデザインから脱却して、「似ている」ということに注目して研究を続け、その結果、「似ている」と感じる感覚を探り、何処まで似ていると似ていると感じるのか、というアナロジー思考にまで踏み込んでいるところだ。ロボット研究の哲学的な側面を深く追求している。非常に面白い。今度彼の著作をまとめて読んでみよう。
今日はユビキタスコンテンツシンポジウム 2010。サブタイトルはデザインとエンジニアリングの境界線。
慶應大学メディアデザイン研究科の稲蔭正彦教授のもとに5年間かけておこなった研究の総括。僕は理論の構築をおもにおこなった。理論から実際のデバイス、そしていくつもの作品、さらにはその制作方法までを網羅した非常に珍しい研究である。
http://xtel.sfc.keio.ac.jp/jp/2010/01/_2010.html
10:40 - 12:10 「親しみのデザイン」
石黒 浩 大阪大学大学院 基礎工学研究科 教授
奥出 直人 慶應義塾大学 メディアデザイン研究科 教授
司会 稲蔭正彦
12:10 - 13:30 休憩
13:30 - 15:00 「美しさのデザイン」
山中 俊治 慶應義塾大学 環境情報学部 教授
稲蔭 正彦 慶應義塾大学 メディアデザイン研究科 教授
司会 奥出直人
の順番で話をした。
さて、石黒浩さん。
2010年の映画『サロゲート』の冒頭で映っているシーンがあるロボット研究者である。自分と同じロボットをネットワークで使って人間とは何かを研究している。そのいみで、自分の代わりにロボットに仕事をさせている未来を映画にした「サロゲート」そのものなのだが、彼の立てている議論は非常に面白い。
ロボット特に人型ロボットというと知能を持っていることが前提だが、彼の提案するロボットは意思を持たない。新しいコミュニケーションディバイスである。非常に精巧な機械の表面にプラスチックの皮膚をつける。そして、それをアクチュエーターで制御して表情を作る。
彼のポイントはこの表情をもつアンドロイドを見て人間はどう反応するか、である。その分身を自分の延長だと意識したとたんに、身体が反応する。つねられるとつねられた気がするのである。ミラーニューロンの働きだ。
人間は無意識に身体を動かしている。そうした特徴も埋め込み、人間そっくりにつくっていく。石黒氏は機械工学と材料工学が一緒になった学科で勉強をしてきたそうで、その両方で学んできたことがこの研究にはよく反映している。ロボットというと、ロボットらしいデザインをする傾向があるが、あくまで人間ににている、外見に似ていることにこだわって研究を続けてきた。三菱重工がかつてつくっていた「wakamaru」というロボットがある。愛知万博に出展された。その中身は石黒氏が開発したそうだ。だが、外見はプロダクトデザイナーの喜多俊之さんである。石黒さんは「ロボットらしい」デザインの代わりに、当時4歳だった娘とそっくりの外観のロボットをつくった。
実際に娘さんと対面させたところ、「気持ちが悪い」といったそうだ。その後さらに研究を続け、30代の女性そっくりのアンドロイドを作る。
さて、石黒氏のすごいところは、このアンドロイドをつかって哲学的な考察、つまり人間とは何かをかんがえていくところである。いくつも著書がある研究者だが、その議論は面白い。まず一番大切なところは、アンドロイドは機械であり、制御の技術が非常に進んだ現在では凡庸な人間の表現力を超えることが出来る。一流の役者のように悲しみや喜びの表情を作ることが出来る。悲しみの精神をもつのではなくて、悲しみの表情をつくることができるのだ。
また壊れていくアンドロイドや修理をしているアンドロイドをみると、生きているとしか思えない。解剖図をみているような奇妙な感覚にとらわれる。このあたりバーバラ・スタフォードの『ボディ・クリティシズム—啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化 』の示した18世紀的知性が身体の内部を切り開くことで形成されたことをうけて、我々は身体を外在化させていくことで新しい知性を生み出す可能性を感じさせる。修理を受けるアンドロイドは実に生々しい。
これは実は演劇あるいは演出術とも通じる。人間を感動させるために演出家は俳優に演技を指導するが、そのときに、役者には心は必要ない。だがこの考えをさらにすすめると、人間にも心は無いかもしれない。石黒氏はドレイファス、ウィノグラード、サールなど現象学に大きく影響を受けている反人工知能研究者と非常に近いところに存在していることが分かる。
さらに感動的なところは、いわゆるロボットデザインから脱却して、「似ている」ということに注目して研究を続け、その結果、「似ている」と感じる感覚を探り、何処まで似ていると似ていると感じるのか、というアナロジー思考にまで踏み込んでいるところだ。ロボット研究の哲学的な側面を深く追求している。非常に面白い。今度彼の著作をまとめて読んでみよう。
by naohito-okude
| 2010-02-16 10:38
| 講演会・展示会