奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

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野田俊介さん

エキサイト社社長、野田俊介さんKMD来訪。

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野田俊介さんとはもう15年近いおつきあいだ。SFCで昔コマースアレーというプロジェクトを行っていた頃である。Webで商店街をつくってお店を集めて物販を行うというものだ。

http://www.calley.co.jp

http://www.nttdata.co.jp/release/1995/121200.html

いま振り返るとそう珍しくはないだろう。だが15年前である。WWWが少し普及して、加えてようやくMosaicが登場した頃である。そのころ凸版印刷と共同で日本でほぼ最初の商業モールをつくった。

http://bell.jp/pancho/terminology/hyper-dictionary/50-ha/ha/figs/vmall.html


そのときに街のイメージを貼り付けて、それをクリックすると別のイメージにつながるという、イメージ間のハイパーリンクを作成した。これもひょっとしたら世界でも最初の試みの一つだった気がする。まだ世界中でイメージをつかったWebサイトの少なかった頃で、cool site of the dayという場所で「今日世界で一番クールなサイト」に選ばれたこともある。

その頃(1995年)、ジム・クラークが日本に来て、個人的に会う機会があった。シリコングラフィックス (SGI)という3次元グラフィックスのコンピュータをつくる会社の創業者であり、1990年に上場して大金持ちになっていた。SGIは2006年に倒産する。1993年に彼はシリコングラフィックス社を辞める。小型の端末と高速のネットワークが次のコンピューティングの世界をつくることが、いまの経営陣にはわからないのだ、と述べていた。なにか新しい事業がないかと探していると、マーク・アンドリーセンらの作ったブラウザMosaicを見つけたという。彼にメールを送り、モザイクコミュニケーションズをつくった。後に、ネットスケープコミュニケーションズと改名して、1995年に上場した。その後マイクロソフトとのブラウザー競争に敗れ、1998年にはAOLに合併と言うことになった。モザイクは開発した大学が知財の所有を主張したが、開発した人間を採用して新たに作り直した。「特許よりも人材だ」と話していたのが印象的だった。

1996年、ヘルシオン(医療ソフトサービス会社)を創業し、これも1999年2月に上場させた。この会社は1999年5月にマイクロソフトが出資していたWebMDと合併した。ジム・クラークにかんしては、マイケル ルイス『ニュー・ニュー・シング』がでているが、とにかく狩猟民族の起業家の典型のような人だ。彼と話をしてネットスケープを慶應に貸してもらい、イメージを多用したサイトを作った。暗号技術の問題で日本に輸出が禁止されていた時期だったので、慶應で先行的につかうことができてビジネス活用のための研究を他に先駆けていくつも行うことが出来た。サイバーパブリッシングジャパンはその成果だ。

その試みを中小企業にも展開しようというのがコマースアレーである。メンバーの一人が、大学時代の友達が伊藤忠テクノソリューション(ITC)に勤めているので、彼からコンピュータを買おう、というので野田さんを紹介されたのが最初の出会いである。

おそらくは日本では誰もまだ手をつけていなかったWebの商業利用の実践を大学のプロジェクトで経験した学生のなかには楽天の創業にかかわって取締役を行っている学生もいるし、楽天にはいっていろいろとプロデュースした後、やめて映画のプロデューサーを行っているものもいる。

野田さんは東京大学の工学部で石井威望先生の研究室で勉強をしていた。石井先生は東大を定年で退官し、そのあとSFCで教鞭を執られた。日本の科学技術政策の多くに深く関わってこられた大先生であり、僕はすでにSFCで教えていたが、10年間ほどいろいろと石井先生から学び、第3の師匠と思っている。野田さんは卒業後、伊藤忠に入社し、このころはCTCに出向していた。その後伊藤忠に戻り、伊藤忠インターネットという会社の設立を行った。僕はそのお手伝いをすることになる。

伊藤忠インターネットはもう無いが、アメリカのSUNが直接投資をした会社である。この会社を作り、商社とインターネットの関係を探ろうというのが課題であった。ある程度方向が見えたところで、伊藤忠の役員会で僕が概要を取締役に説明をした。繊維から鉄鋼まで総合商社の領域はあらゆる経済活動に渡る。そのなかでインターネットがどのように活用されていくのかのビジョンを丁寧に説明した。当時の社長は室伏稔氏であった。繊維部門と情報部門が社内コラボレーションをしてBtoBのネットワークをつくり、ファッション産業の川上から川下までを繋ぐプロジェクトをプロトタイプしたりした。いまのファストファッションの走りである。

だがこのあと伊藤忠は経営危機に直面する。そして、社長が丹羽宇一郎氏に変わる。テレビ番組で伊藤忠の戦いがドキュメンタリーで放送されていてその中で野田さんを始め伊藤忠のインターネットメンバーの姿を見たりした。1999年にCTCが上場し、その資金と丹羽氏の伝説的なマネージメントがあわさり、伊藤忠は業績を回復していく。そんなときに、また野田さんと仕事をするチャンスがきた。現在の社長である小林栄三氏が、情報産業部門長と情報産業ビジネス部長を兼任されていて、ネットの森という社内横断的なプロジェクトを発足させたのである。社内からインターネットビジネスを行いたいと希望する社員を募集したのだ。そのプロデューサーであり、時としてプレイングマネージャーでもあったのが野田さんである。僕は野田さんに呼ばれて、全体の説明を受けて、戦略を立てた。基本的にはインターネットがビジネスに活用できるとはどのようなことなのかの知識のレベルを合わせることを行った。当時のコンサルティングの資料がまだ手元にのこっているが、いわゆるインターネットベンチャーではなくて、総合商社としてインターネットにどのように取り組んでいくかの基盤をつくってから、個別のプロジェクトに移っていった。この体制が非常に効果を生んでいくことになる。

とはいえ、最初の1年はめざましい結果は出なかった。そこがリアルなモノをあつかう商社ビジネスと違うところだ。またコンシュマー・ビジネスに不慣れなところもあって、スローな出だしであった。伊藤忠ファッションシステムの仕掛けたマガシークが最初に飛び出した。伊藤忠はファッションを扱う商社として巨大であり、その倉庫にある商品をスタイリストがコーディネートして雑誌と提携して通販を行うのだ。

http://www.magaseek.com/


2年目に入って段々と成果が出てきて、いくつかのプロジェクトは伊藤忠からスピンアウトして起業をし、IPOも果たした。野田さんがしっかりと戦略を立案して、人材を育て、成果を生んだのである。野田さんは最年少で部長になり、小林氏は社長となった。

Exite社の買収もこのころの仕事だ。アメリカで売りに出ていて、金額も手頃だったので伊藤忠が買収した。インターネット上のメディアを持つと言うことはかなりの効果があり、消費者向けのビジネスに不慣れだった総合商社の人間がいろいろなことを学ぶことが出来た。経営にはあまり口出しをしていなかったようだが、最近業績が悪化して、野田さんが伊藤忠からExite社の社長へと転出したのである。


http://www.excite.co.jp/

現在立て直しのまっただなか、というところだ。

さて、総合商社とインターネットは実はあまりうまくビジネスシナジーが出ていない。総合商社は日本の基幹産業に深く関係をしていて、大きな投資額が必要なプロジェクトを支援したり、物流に必要な資本を肩代わりしたりする。インターネットが出てきてこうした機能が「中抜き」されるのではないか、という恐怖をもったことがそもそも僕と伊藤忠のビジネスの始まりだったのだが、結果的にはそのようなことはなかった。また株取引をインターネットでおこなう市場が登場したとき、伊藤忠はカブドットコムに関わったが、ここは他の株取引サイトとことなり、自前でサーバーなどをもっていた。初期投資はかさむが、取引が伸びて行くにつれて利益が上がっていった。ここはIPOで大きな利益を出す。このあたりが商社とインターネットの本当のシナジーだと思っている。

実は総合商社がインターネットとビジネスで向かい合っていくのはこれからだ。それは商社が支援してきた大規模な企業が流通業者や小売店ではなくて、顧客に直接向き合うことが必要になってきているからだ。この方向に経営の方向を変換できたところが生き残っていく。GEやPhilipsといった企業が会社の形を大きく変えているのもこの方向を目指しているからである。アメリカやヨーロッパの会社は会社組織の中に消費者と向き合うセクションを作った。だが、日本の製造業にはこの変身は難しいと見ている。ここが商社の出番である。総合商社は非常に日本的な会社組織だと言われているが、基本的には情報と資本で企業の連携をスムースに行わせる仕事を行っていると言っていいと思う。なので、消費者と向き合う形で日本の基幹産業のビジネスを支援するところにかなりの可能性があると見ている。

藤本 隆宏氏の著書に『日本のもの造り哲学』がある。藤本氏は日本的企業の特徴を「摺り合わせ」技術にみていて、部品をモジュールとして、それを組み立てるアーキテクチャーをデザインして、そのなかにコアとして「摺り合わせ」を埋め込む戦略が必要なことを提案して知られているが、この本ではさらに「消費空間」という考え方を提案している。

何かを作ろうと考えると、素材、設計、製造、と異質のレイヤーの間で作りたいものの「設計図」を「転写」していく必要がある。この転写が難しい。そこをいかに上手に行うかが競争力の決め手になるわけであるが、製造した後、消費者がそれを利用する「消費空間」があるという。ここに設計図を転写することがないと21世紀のもの作り産業は生き残れないという。その転写を製造業が行うことは難しいだろ言う、と藤本氏は言う。こここそ商社が活躍するところだ。素材からエネルギーから工場の設備から倉庫まで商社が積極的に関わってきた。「消費空間」に製造業を展開する情報と資本の支援を商社が行ってはどうか、と藤本氏は提案しているのである。


Web2.0という言葉があったが、その次にくる大きな波はリアルな空間と情報空間を連結させて行く流れだ。人々が生活している物理的な消費空間をどのように情報空間と資本で強化していくのか。総合商社がインターネットを活用してスケールの大きなビジネスを行っていくのはこれからだろう。
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by naohito-okude | 2009-09-13 13:13 |

芦沢賢一君

一緒に仕事をしている芦沢賢一君と霞町スタジオでミーティング。
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彼はSFC2期生で大学院修了後NTTに入り、その後NTTDocomoに移り、起業。いまはその会社を離れて、KMDで博士課程で勉強をしながら僕のオフィスの活動を助けてくれている。デザイン思考2.0という新しいコンサルティングのパッケージを開発しているのだが、その打ち合わせ。デザイン思考はIDEOの『創造する会社』がでて、次に僕の『デザイン思考の道具箱』がでて、いまでは東京大学のコースにもなっているアイデアを作る方法である。アイデアを作る方法について体系的に説明できる珍しい方法で、このやり方を身に付けるとアイデアやイノベーションが比較的簡単に「誰にでも」つまり天才でなくてもできる。



僕の会社オプティマではここ数年間この方法についてデザイン思考ワークショップというコンサルティングを行ってきた。ところが最近イノベーションは出来たと思うけれど、それを事業化できない、という相談がいくつか来た。話を聞くと一つは会社の事業戦略をまえもって決めてないことが問題だ。イノベーションに価値があったときはプロダクトアウトのように、イノベーションをしてからビジネスを考えようという態度があった。だが簡単にイノベーションを行うことが出来るとなると、イノベーションが経営戦略と一致する必要性、あるいはイノベーションを実際の事業に展開する方法が必要となる。

もうひとつはプロトタイプを作る新しい方法、Tinkeringというが、それがうまく開発プロセスに組み込めないことである。デザイン思考は新しいアイデアを作り出す方法、これをIdeationというが、そこに限定していま普及を始めようとしている。だがそれだけではイノベーションが現実化しない。



このような動きに答えるように、今までのデザイン思考のワークショップに加えて、経営戦略のコンサルを行い、次にデザイン思考でイノベーションを行い、そのあとそれを事業に結びつけるプロセスを考えた。ある程度クライアントと検討をしてめどが立ったので、一般的なパッケージにしようというわけである。

午前中一杯かけて、方向性を決めて、今週中にパッケージを完成させることにした。
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by naohito-okude | 2009-09-08 23:17 |