奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

カテゴリ:外国語( 7 )

哲学するための多言語学習日記 第1週

昨年から何度か調整してきた多言語学習であるが、どうにかペースにのりそうなので、暫くblogに書いてみることにする。


本blogでは哲学するための多言語学習について実践的に考えてみたい。西洋哲学を学び東洋哲学を知る。21世紀グローバル化が進む中、一体僕たちはいや、僕はどう生きていくべきなのか、今ある問題をどのように考えていけばいいのか。数ある哲学書はそうした問題に適切に答えてくれる。多くの哲学者が人生をかけて考え抜いた哲学書はなによりもの宝だ。

西洋哲学の大きな流れ、とくに20世紀後半に登場した反哲学の流れを勉強することは日本語でも可能だ。僕が大学生の時から親しんだ木田元氏は魅力的な哲学書を書いている。また同年代の岡田温司氏はフランス現代哲学のあと思想界を引っ張ってきたイタリア哲学について分かりやすく体系立てて紹介し、必要な翻訳を提供している。また多くの哲学は英語で読むことが出来る。だが、英語に紹介されている思想だけではいま直面している問題を考えるにはちょっと足りない感じがしている。

大学院に入ったばかりの頃、師匠である鈴木孝夫氏に、哲学を勉強するにはギリシャ語やラテン語が必要なのではないかと聞いたことがある。そうか、では聞きにいこう、と当時慶應大学でラテン語を教えておられた藤井昇先生の処に連れて行かれた。「で君は何が学びたいのか」と聞かれたので社会や文化の仕組みを調べてみたいとこたえたら、「ならギリシャ語やラテン語を勉強する暇があったら、英語で哲学者の本を読みなさい。ラテン語を勉強することは無駄です。必要なことは全部英語で読める」とおっしゃった。

で勉強しなかった。フランス語はまあ苦手ではなかったので、ベルグソンの『笑い』をフランス語で読み切って大学院の入試に備えたりした。だが、英語圏で博士号を取り、とくに国際的な活動をすることもなく慶應大学で教鞭をとり、コンピュータに夢中になり、英語だけで世界をみて、30年になる。フランス語はすっかり忘れた。その間日本の哲学者の語学能力は向上して多くの良書を日本語で読むことが出来た。

コンピュータと思考のメカニズムに関しては大分早い時代から刺激を受けて、大学時代に夢中になっていたフランスのデコンストラクション哲学との関係にも影響をうけ、井筒利彦デリダのやりとりに影響を受けて『思考のエンジン』を書いた。また、とくにここ10年、現象学をデザイン手法に取り入れた研究を行ってきた。哲学者ではないが、哲学とは常に関わってきたわけだ。だが、英語で議論されている哲学を参考に自分の世界を構築していく作業もなんだか先がない感じになってきた。

グローバル化するなかで母語ではない英語をつかってコミュニケーションを行い、研究をする中で、それ故に気がついてきたところがある。それは英語ではすくいきれない世界があることだ。その世界に気がつかせてくれたのはグローバル化した英語のおかげだ。だが、コミュニケーションのための英語によってアクセス可能になった英語ではコミュニケーションできない世界、そこに異邦人として紛れ込み文化の違いに幻惑されて新しい哲学の可能性を探していきたい、と思い始めた。

本書ではイタリア語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、と独学していく。並行して英語の上級への挑戦も行っていく。基本的には哲学の本ではなくて語学独学の書である。また言語の達人を目指す本ではない。55歳を過ぎてからの外国語学習だ。そんなに上手くなるはずもない。だが世界は確実に広がるはずだ。メディア技術の発達により、音声教材が充実した。それによって、多言語世界は語学の天才だけのものではなくなった。理屈はこのくらいとして、始めるとしよう。

第1週

2010年8月31日(火曜)

今日が多言語学習第1日目。


イタリア語

イタリア語は過去に学んだことがないので、この段階は耳をつくる。 外国語の学び方はいろいろある。だが、西洋語を学ぶ最良の方法は音から入ることだ。ローマン・ヤコブソンは音韻論を確立した大家だが、人間が言語に用いている音は単独に存在しているわけではなく、相互に関係して一つの体系をなしていると述べた。この発見はたいしたもので、国際発音記号(IPA: International Phonetic Alphabet)をみるといつも感心する。人間は確かに音韻を意識して発音をしている。クロード・レヴィ=ストロースはこれを大発見と称えると共に、『構造人類学』で人間の文化の認識も音韻論のように構造化されていると主張した。そんなわけないだろう、現象はもっと多様で豊かだと批判をしたのがジャック・デリダである。彼は『グラマトロジー』でレヴィ=ストロースを切って捨て、ついでにヤコブソンもロゴス中心主義者として批判した。システムで抽出されていない状態の表現をデリダはエクリチュールと呼んだのだ。

僕は基本的にはデリダに影響されて哲学を学び始めた。このあたりは『思考のエンジン』に詳しいが、だからといって語学学習においてヤコブソンの考えを否定しているわけではない。コミュニケーションに使う言語の音は確かに構造化されている。とくに西洋語ではそれが顕著だ。その音をアルファベットで表記したことには相当無理がある。だがそのアルファベット表記でいわゆる哲学的認識が可能になったということも事実だ。さらにこの構造を意味に展開するに当たっては結構無茶な感じがする。ここには何度も戻っていくのでいまはこのくらいにしよう。

語学の教育方法はいろいろな流れがあり、これも追々紹介するが、いわゆる初級の語学書をみると簡単な挨拶から始まるものが多い。だが研究のための語学習得としては、これは遠回りだ。挨拶は結構難しく、それを母語とするひとにとっては当たり前でも、外国人にとっては難しい。挨拶や簡単なやり取りを暗記すればそれっぽくコミュニケーションは成り立つが、それから先には進まない。なので初級の教科書を選ぶときには工夫が必要である。初級文法にCDの組み合わせがいい。音・文法・語彙の順番で勉強を進めるのだ。会話の入門書から外国語を学ぶことは実はとても難しい。

耳できいて音になれる。これが大事だと思う。というわけで、いくつかある語学入門書から『イタリア語初歩』を選んだ。CDをリップしてiTuneに入れる。頭から聞いていく。1回聞くと1時間。少し前から、気が向いたときに聞いていて、今日で5回めだが、音が大分なじんできた。

フランス語

フランス語は37年前、高校3年生の時に学び始めた。大学に入ると最後の学生運動で大学がバリケードで封鎖されており、することがなかったのでアテネフランセに通った。そこでいろんな奴に会い、いろんな事を知った。語学だけではなくて伊丹十三のエッセイを知ったのも、『日常生活の冒険』のなかのヘンリー・ミラーの小説本を半分に折るひみこについて言及しながら大江健三郎を語ったのも、フランスの数学者グループ「ブルバギ」を知ったのもアテネフランセ時代だ。中学校の3年生くらいから大江健三郎を読み、フランス「文学」や哲学に親しみがあった。高校2年生の頃にはレヴィ=ストロースとフーコーが日本に紹介された頃である。外国への留学は船で行っていた時代よりはましだったがそれでも社会的にも経済的にもなかなか難しくて、留学生試験に受かることが普通の学生にとっては留学の唯一の方法だった。フランス政府給費留学生とか産経スカラシップとかが主な奨学金だった。アテネフランセにはそうした野心に満ちた青年が何人かいた。

ここでフランス語は大分勉強したが、26歳でアメリカに留学して使わなくなり、さっぱりと忘れてしまった。過去25年くらい、忘れてしまうのはもったいないなあと思って何度か教科書をやってみたがなんだかめんどくさくてすぐに放り投げてしまった。語学の教科書は練習問題があって、基本的にはパターンプラクティスで勉強させる方法を相変わらず踏襲しており、教科書は厚いが学習の進捗は遅々としている。

メルロー・ポンティという哲学者がいる。日本でも研究者が多いフランスの現象学者だ。僕はコンピュータを使ったインタラクションデザインを研究している。現象学的設計論と呼んでいるが、要するに人間が身体の延長として自然に感じることが出来る「道具」をコンピュータをつかってプログラムすることで作るということである。この分野を始めたのはスタンフォード大学のウィノグラードという人で彼はハイデッガーの現象学を用いて新しい設計手法を提唱した。彼が援用したハイデッガーは、カリフォルニア大学の哲学者であるドレイファスが英語にしたものである。ドレイファスのハイデッガー解釈に関してはいろいろな立場があるようで、日本ではほとんど無視、の状態だが、コンピュータが作り出す環境に人間が住むことが出来ないことを現象学の立場から批判する面白い学者だ。コンピュータに内在する問題ではなく、それはコンピュータの使い方によるのだ、というのが現象学的設計論の立場である。この話は別のところで詳しくするとして、ハイデッガーの現象学はいま僕たちがパーソナルコンピュータを使っているときのインターフェイスの設計の基本理論として使われているが、そのことを特に気にしてもいない。

いまコンピュータが画面とキーボードである時代がおわり、コップや机やドアや窓になってしまう時代が来ている。道具と言うより生活環境になろうとしている。そのときに人間と道具の問題を考えて哲学の流れを大きく変えたハイデガーの思想だけだとすこし、というかかなり不足するところがある。ものを作る、人間が世界を構築する、その方法が変わっているのだ。この世界について最初に考え始めたのがハイデガーの影響をうけたフランスの哲学者達である。とくに身体と知覚の問題について深く展開してきたのがメルロ・ポンティだ。日本では木田元氏達の翻訳が昔からあり、よく知られている哲学者だ。英訳も多い。

だが、もう一つぴんとこない。じゃあフランス語で読んでみようか、というのが再学習の動機である。比較的慣れている外国語なので、入門の教科書をいくつか比べてみた。最終的に『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある』清岡智比古を選択した。ちょっとふざけたタイトルだがとても良い。同じ著者が出している教科書よりこちらがいい。CDは一時間ちょっと。いままで40回くらい繰り返して聞いて、大分音にはなれた。ちなみに音を学習するときに初級の文法書を使うのが大切である。会話とか単文だと情報量が多くてめんどくさい。簡単な文章から徐々に難しい文章へ、ドリルをしながら積み上げていく方法ではいつまで経っても出来るようにならない。音が理解できるようになったら初級文法を一気に終了させるのがいいのだ。で今日から文法理解へ。こればかりは覚えるしかない。なので日本語をノートに書き出してそれをフランス語で言ってみる。

さて、語学においては文法能力を頭に作ることが大切である。言語学者チョムスキーコンピテンスと呼んだ能力だ。問題は大人になってからその能力を作ることが出来るか、である。英語を小学生から始めた方が良い、という文部省の政策などは大人は外国語を学ぶのが難しい、という考えに基づいている。おもしろいことに、この説に反対する人には英語の達人といわれている人がおおい。たとえば鳥飼玖美子氏などである。母語は小さいときから身に付けるから母語だ。だが人間は母語以外の言語を身に付けることが出来る。流暢に英語を話す日本人は珍しくない。人間の持つ外国語学習能力は非常に不思議だと思う。ここがわかっている英語の達人達は母語をしっかりと作ってから外国語を学ぶという方法を支持しているのだ。また半端なことでは外国語を本当にマスターすることは出来ない。それを知っているのも達人達だ。

言語を学ぶときに言語の置かれている社会的政治的経済的な要素が深く関わってくる。この分野は社会言語学といわれる。英語をとってみても、長い間、西洋人になりたいという気持ちと英語学習が結びついている。あるいは植民地化されて支配され言語を強要されることもある。支配する者とされる者の間でつかっている語彙が違うということもある。この問題とコンピテンス獲得問題には何の関係もないと僕は思っている。コンピテンス獲得はあくまでも人間の能力の問題であり、社会的な背景はその能力を獲得する環境や条件に大きく関わってくる。めんどくさい言い方をしているが、ようするに、だれでも大人になっても、言語能力をつけることは出来る、ということを言いたいのだ。そのレベルは多様だ。テニスでいえばウィンブルドンで試合をする人もいれば、週末に友達と試合を楽しむ人もいる。どちらもテニスである。同じ事である。

というわけで、必要以上に完成度をもとめないで、ゆっくりと文法能力を付けていく。音が単語をつくり、単語が組み合わさって突然全体性を獲得していきた文章となる。聞いたり読んだりしたときに文章が文章として成り立っていることが分かるようになる、それが言語能力、コンピテンス、である。それを作る。これがフランス語の当面の課題である。

英語
英語は語彙を増やす。これにつきる。どうするか方法を模索中だ。

2010年9月1日
今日が第2日目。

イタリア語
6回目 日吉の行き帰りで終了。文法的なところが気になり始めた。大分なれてきた。30回くらいまでこのままで続けよう。

フランス語 

例文を日本語とフランス語で書き写す。初等文法はドリルをやっては非効率だ。いわゆる学校文法の規則には普遍性がない。それをパターン学習方法で繰り返して暗記してもあまり意味がない。それよりは文法で説明できる外国語の文章がそれにそうとうする日本語をみると口をついて出てくるまで鍛えた方が良い。Lesson10まで日本語と相当するフランス語をノートに写す。これを繰り返し読んでいく。暗記をむりにしない。communicative competenceを作る方法として知られている方法だ。何度も繰り返しているうちに覚えるだろう。そのときが分かったときだ。


英語
単語を強制的に増やす方法は文脈に沿って覚える方法と単語帳を使って覚える方法がある。実際はその併用が好ましいと言われている。同じ単語が違う文脈で出てきたときに意味が分かる必要があるからだ。また単語帳だけで覚えていくのは退屈で大変。このあたりを工夫してみようと2種類の教材を注文してみた。

2010年9月2日
今日が第3日目。

イタリア語
7回目。なれてきた。録音に会わせてシャドーイングをしてみる。割と楽になっている。

フランス語
休み

英語
ボキャブラリービルディング用の本、到着。A Kaplan SAT Score-Raising Classic The War of the Worlds by HG Wells. 右頁にテキスト、左頁に単語と発音と意味の説明。まずはこの一冊から単語帳を作ってみよう。

2010年9月3日
今日が第4日目。

イタリア語
8回目。

フランス語 休み

英語

     休み

ギリシャ語とラテン語のCD付き教科書が届いた。

2010年9月4日 土曜日

今日が第5日目。

イタリア語 休み
フランス語 休み
英語 休み


2010年9月5日 日曜日
今日が第6日目。

イタリア語 休み
フランス語
ノート レッスン11
英語
SAT The War of the Worlds Chapter4 まで読了

2010年9月6日 月曜日

今日が第7日目。

イタリア語
9回目

フランス語
ノートLesson 13 まで

英語
SAT The War of the Worlds Ch1 単語帳に転記。

というわけで第1週終了。
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by naohito-okude | 2010-09-07 06:43 | 外国語
Invisible Man

病院からでて、ハーレムに戻って、疲れて倒れたところを親切な女性マリーに助けられる。
そのあとメンズハウスと呼ばれるアパートに戻る。
黒人達がアメリカ社会の中で無意味な夢を見ている様子が適切に語られる。
アングロサクソン銀行家の様な服装をして、読みもしないウォールストリートジャーナルを抱えると言ったカリカチュアは、そのような服装をまとっている人間も含めて、奥の深い問題である。『アメリカンポップエステティックス』で詳しく述べたところだ。

そのアパートをでて親切な女性マリーの家に。
本を読みただ過ごす日々。家賃をはらえなくなるが、マリーはそれでいいという。ある時、焼き芋を売る男にある。南部の料理の記述が素晴らしい。南部の黒人文化を見つめる、という視点が迫力をもって語られる。

ここでCD7枚目の終わり。

8枚目で、主人公が街を歩いていると、evacuation強制撤去の現場にであう。
白人の男性がやってきて、黒人の女性を立ち退かせようとしている。
主人公は突然、アジテーションをして暴動を引き起こしてしまう。
警察が来る前にその場を屋根伝いににげていくと、Brother Jack という妙な男にであう。
共産党のグループのリーダーで、仲間に紹介される。
ブッカ・T・ワシントンの様な黒人リーダーに鳴って欲しいと言われる。

共産党の連中のパーティに行くと、Brother Jackが住んでいるアパートが豪華で、そのパーティで他の仲間から黒人は歌がうまいんだろうと言われたりする。Brother Jackは「そのような無意識人種差別はゆるさない」と」発言したりする。彼らの仲間になることを条件に、アパートと300ドルの一時金と給料を与えられる。そこから100ドルをマリーに渡して、マリーの家を出る。

彼らが借りてくれたアパートに行く。随分と立派な部屋である。集会での1回目の演説をする。この演説の記述も朗読も素晴らしい。主人公は演説の才能にめざめていく。だが、科学的な理論を標榜する共産党にふさわしくない感情的な演説だといういけんと、人をうごかすいい演説だという意見にわかれる。

共産党には理論と実践が必要なのに、理論ばかりの腰抜けが多い、とジャックが主人公の演説を批判した人を逆に批判する。主人公は演説がうまくいったので、誰か記録しておいてくれたらいいなと思う。

ラルフ・エリスンの小説は全編、黒人の演説や話術が活字でちりばめられており、どれも素晴らしい。朗読をしたときに、そこに生きた演説や会話が浮かび上がる。この筆力こそが、彼の小説の魅力だ。

とはいえ、主人公は4ヶ月、共産党イデオロギーの訓練をする。そのための教師がつけられてアパートで学習が続く。そして、ハーレムへ配置される。大衆を組織して革命を起こすためだ。そこで、黒人の共産党主義者に会う。

街に出て行くと暴漢に襲われてけんかになる。そこで、アフリカから黒人文化至上主義者にあう。彼の主張に心が動かされる主人公。ここまで聴いた。朗読に引き込まれていく。

CD10枚目の最後だ。
これから後半に向かっていく。
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by naohito-okude | 2009-12-24 12:08 | 外国語
12月20日

今週はちょっと抜けたが6回、音読をした。清岡氏の『フラ語入門』はコンパクトに一冊になっていて、さらにCDが付いている。初等文法を音声付きで勉強できるというのは本当に凄いなと思っている。外国語学習法には大きく分けて二種類あり、ラテン語教育に由来するといわれる文法訳読法(Méthode grammaire-traduction)とナチュラルメソッドと呼ばれたりする直接法だ。もともとは文法訳読法が主流で文法規則を論理的な形で提示して、それを使って母語と習得する外国語のの翻訳を双方向で行なう。まあ伝統的な学校での外国語学習の方法である。演繹的な方法だ。もう一つは、ひたすら言語の流れの中において、学ぶ。こちらは帰納的だ。こうした過去の方法の限界が解決するのではないかと、ちょっと思った。楽観的過ぎるかな。

外国語を教える方法論の問題は面白くて、もっと自由に演繹法と帰納法を組み合わせたらいいと思うのだが、結構教授法を提唱している人はかたくななのだ。実は教育学の「方法」ってこうしたものがおおくて、「専門家」が主張する「科学的な方法」って、科学哲学から観ると全然「科学的」でないのに、専門家の意見として通っている。大手の教育系の会社もその主張の根拠は科学的には結構やばいなあという気がする。科学的でなくても効果的な方法はあり、でもそれが効果的かどうかはまあ人によって違うこともあり、いってみれば主観的な世界なのだ。でも外国語に限らず、新しく身体的な能力を身に付けることは可能であり、経験則としていろいろと言われている。上手にお稽古すれば確実に旨くなる。それだけのことだ。茶道や書道、など〜道が付く世界はまさにそうだ。

考えてみれば分かることだが、言語は実践の中で身に付けていくものだ。一つの身体的技能が身につくまでに3000時間と言われている。俗説かもしれないが、一日一時間レッスンをして10年でなんとなく一人前になる習い事を考えてみると分からないでもない。一日1時間で10年なら3時間で3年ちょっと、一日10時間やれば1年。6時間で2年弱。そんなもんだろう。問題はいかに上手にこの訓練期間を乗り越えていくか、である。大人のための英語講座で紹介している国弘さんや行方さんの方法はこうした実践的な見地から描かれている。それにくらべて「教授法」は奇妙な世界だ。

伝統的な方法はGrammar-Translation Methodで、文法を覚え、単語を覚え、外国語を母語にして、母語を外国語にする。この方法が批判されたのはなぜなのか?まあ一番簡単な理由は話せるようにならない、だろう。そこでNatural Method(ナチュラル・メソッド)という方法が提案された。母語を学ぶように外国語を学ばせようとするものだ。有名な方法は、ベルリッツ (Maximilian Berlitz)で、ヒアリングを徹底して教えてからスピーキング、リーディング、ライティングへと入っていった。だが、いくら聞いても大人は聞こえるようにならない。大人はいくら聞いてもしゃべれるようにはならない。ここを改善しようとした方法がAudio-lingual Approach (AL法、オーラル・アプローチ)、いわゆるミシガンメソッドである。20世紀初頭における構造言語学と行動心理学を後ろ盾として、C. C. フリーズ(Fries)によって体系化されたという。Teaching and Learning English as a Foreign Language by Charles C. C. Fries: Pub. Date: January 1945が有名な本だ。彼が準拠した構造言語学では言語を本質的に音声であり、音、語、文の「型」によって構成されると考えている。また、当時はやっていた行動心理学では習慣は刺激に対する反応の繰り返しによって形成されるとされていた。なので、これら二つの考え方を基礎としてパターン・プラクティスを組み立てた。 パターン・プラクティスとは、例えば「私は本が好きです」、という文に対して指導者が「りんご」などのキューを与え、「私はリンゴが好きです」といった文に変形させる、とWebで説明があった。学習者は自動的かつ即座に正しい英文が出てくるまで繰り返し練習する。いまでも出版されている『アメリカ口語教本』などがこの方法を使っているが、退屈で続けるのが大変。

またパターン学習で本当に表現が出来るようになるのか、という本質的な疑問もあるという。Wikipedia「英語教育」から引用すると、「具体的には、教える側は正しい文の模範を提示し、学ぶ側はそれを復唱する(模倣: Mimicry-Memorization)。次に教師は新たな単語を生徒に提示し、生徒はそれを用いて同じ構造の文章を作ってみる(代入:Substitution)。AL法では(ダイレクトメソッドでは)、明示的な文法の解説は行われず、単純に「型」(パタン:Pattern)の記憶という方法が用いられる。パタン・プラクティス(Pattern Practice)と呼ばれる特定の文構造の練習は、それを自動的に用いることができるようになるまで続けられる。この方法では、授業は一定の反復練習に基づいて行われ、学習者が自分から自由に新しい言語パタンを生成するような機会は方法論的に忌避される。教師は言語ルールに基づいた特定の反応を期待しており、生徒が否定的な評価を受ける結果をもたらしてしまうような働きかけは行わない。」とある。

演繹的方法でだめだからといって、徹底的な帰納法で教えようとする。実はフランス語はアテネ・フランセなど語学学校で学ぶと直説法である。また大学では、今は知らないが、僕が大学生だった頃(35年くらい前。時間が過ぎるのは早いね)は上智大学が直説法で教えていて学生はあっというまにしゃべれるようになっていった。(がそのあと、すぐ忘れちゃうんだよね、と上智で学んだ人が言っていた。)この徹底した帰納法に対して、もうすこし緩い方法がでてきた。これがCommunicative Approaches(コミュニカティブ・アプローチ)である。これは欧州評議会の提唱する「ヨーロッパの成人学習者のためのコミュニケーションに必要なシラバスに基づく教授法」であり、コミュニケーション能力を次のように定義して学ぶことを提唱している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Communicative_language_teaching
によると、

1)文法力(grammatical competence):文法的に正しい文を作る力
2)社会言語能力(sociolinguistic competence):社会的な事象(身分、上下関係など)をふまえた文を作る能力
3)談話能力(discourse competence):論理的な文の流れを作る能力
4)戦略的能力(strategic competence):状況に合わせて表現を変えていく能力。

この方法はいま非常に人気があって、大学の語学教育再編というとすぐこれになるが、僕は非常に懐疑的だ。なんというか、人間の言語能力を冒涜している気がする。人間が存在することと言語の問題はもっと奧が深い。母国語が剥奪された状態で外国語で自己表現をしなくてはいけない状況で、ぎりぎりで表現行為をおこなって生きていく。こうしたことも可能なのだ。コミュニカティブ・コンピテンスを提唱したデル・ハイムズはこのあたりまで考えていたと思うが、実際に運用されると、なんだか存在に深みのないネイティブスピーカーが適当にコミュニケーションをファシリテートしている。これとディベートを組み合わせた授業なんて、なんだかいやな感じだ。もっと真摯に言語の問題に向かい合って欲しい

まあ外国語の学習方法の背後にある植民地支配とか移民同化政策とかそいういった政治的な問題もしっかりと議論しなくてはいけないのだが、それはまたの機会にしよう。

さて、こうした「科学的」教授法とは別に、実践的な方法もいくつかある。たとえば、オーラルメソッドである。これは音声学的な立場から子音、母音、音の続き方、強弱、抑揚などを何度も練習させて学ばせ、語、語句、文の意味を直接音に結びつけていく方法である。いわゆる音読主義の御先祖様だ。Wikipediaにオーラルメソッドの項目があるが、考案者はハロルド・E・パーマー(Harold E. Palmer 1877年3月6日 - 1949年11月16日)といって、戦前の日本の英語教育に大きく貢献した人とある。なるほど。

さて、日本の英語の教科書はパーマーの影響で、実際の指導技術にまで細かく配慮して作られているという。日本の英語教科書は彼の指導でまとまりのある文章を中心として構成されていて、中・高等学校の授業では定着した授業手順となっているという。国弘さんが日本の中学校の教科書を薦めるわけだ。うーん、では何が問題なのだろうか。音をきちんと学ぶことが出来ていなかったのだと思う。試験による選抜のメカニズムに組み込まれてじっくりと音読する方法が定着しなかったのだ。それは今も同じである。もったいないことだ。

実践的な語学教育として効果があると言われているものにASTPがある。これは" Army Specialized Training Program(陸軍特別研修計画)"の略で、アメリカ陸軍の兵士を対象にしたプログラムとしてはじまった。アメリカ人で戦後日本文学の研究者になった人などはここの卒業である。これは歴史上唯一効果があったとされる教育法である。。第二次大戦中の1943年に、ペンシルバニアやイエールなど諸大学の協力を得て、ASTPが開始された。その学習環境は外国語学習に適したものだと今でも言われており、1日の全てを外国語の学習にあてて、クラスも多くとも10人という少人数クラスだったという。口頭練習を指揮するネイティブ教員は、drill masterと呼ばれていたという。反復練習のための練習問題つまり、drillを徹底的に行ったのである。

WebでASTPの説明をしているいくつかのサイトからの引用だが、

(1)常に少人数のクラス

(2)毎週10~25時間の授業で、Intensivに行う

(3)指導者は理論と実際に関して特別訓練を受け養成された者、

かつ、その外国語が使用されている地域に永く在住したか、 NativeSpeakerなアメリカ人。

その他にクラスごとに2名のNativeSpeakerがDrillMasterとして補助にあたる。

(4)初期にはSpokenLanguage(聞き方話し方)に重点。

(5)その後読み書き。

(6)口頭での言語運用機会を最大にする。

(7)外国語の学習に関連する風俗や習慣をも指導。

この際、利用しうるあらゆる視聴覚的教材を活用する。

(8)期間は通常6ヶ月。場合により延長して1年間コースを受ける。

短期間に集中的に訓練を行うため、IntensiveMethodとも呼ばれることもある。

出典は大沢 茂 『現代の英語科教育法』 南雲堂 1978とのことだが、まだ確認はしていない。

要するに、言語を音声を主として学習しながらも、同時に文字言語の学習を並行して行い、時間をかけた、ということですね。方法論的にはあたらしくない、といわれていますが、まあ外国語習得方法に科学的な方法なんて無いと考えた方がいい。で、もっと大事なことは語学教育は植民地化とか移民同化政策とか、文化輸出戦略とかに深く関わっている。そこを深く理解した上で言語の問題に向かっていく必要がある。僕らは外国語とどうむきあうか、ということですね。ここは難しいところだ。

で、『フラ語入門』に話は戻る。この本はGrammer-Translation Method(文法訳読法)だが、エクササイズにパターンプラクティスっぽいものが入っている。なのでここはとばす。CDと本を合わせて使うと、例文の意味を日本語で説明してくれる。そのあと、例文が読み上げられる。『フラ語入門』のCDとテキストを使って音読していると、フランス語の文法を日本語で言葉の意味を確認しながら、音で身に付けていくことが出来る。こんなに素敵な方法が40年くらい前には不可能、あるいは特権的な状況でないとあり得なかったわけである。いや、世の中、変わったね。この本も最初はCDなしだったようだし。この方法でどこまで外国語を学ぶことが出来るか、暫くやってみることにする。
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by naohito-okude | 2009-12-22 08:45 | 外国語
ラルフ・エリスンの「Invisible Man」を13章まで聴いた。あと何回か聴かないと細かいところは分からないが、非常に感動している。まず、いま僕は55歳だが、主人公が大人になっていく中で自己を確立する過程が、シュトゥルム・ウント・ドラング(独:Sturm und Drang)小説として、大人になっているので、距離を置いてみることが出来る点だ。黒人の知識人が自分のアイデンティティを確立していく過程は日本の明治時代の知識人が自己を確立する過程と似ていて、その複雑なメカニズムを「カウンターディスコース」として説明したことがある。(『アメリカンポップエスティティックス』)エリスンはそのあたりを超絶的な文章力で描ききっている。

19世紀20世紀の非西洋世界に生きていて、西洋文明の中で自己を確立することを要請されている知識人の有り様が描かれている。そうだよなあ、と同感すると共に、いま同じような環境で自己形成をしている20代の若者にエールを送りながらも、ここを頑張らなくてどうする、という気持ちになる。このあたりは追々、説明して行きたい。またカウンターディスコースの視点でエリスンを分析している本も見つけた。Kindleにダウンロードしてある。

もう一つの点はJazzだ。朗読をしている俳優の素晴らしさもあるが、文章がJazzだ。それもHarlemの黒人のJazzだ。洒落ていてビートがあって表現として至高の水準になっている。僕はかれこれ10年近く澤田靖司というジャズ歌手にジャズをならっているが、彼がここはこうゆう風に黒人歌手は発音してビートに乗る、と教えてくれるエッセンスがあるのだが、そのままである。このリズムを感じながらInvisible Manを聴くのは、至福である。Jazzが身体に染みついていて良かったと思う。Jazzマンが随所出てくるところもその雰囲気がよく分かる。本当に凄い作家だ。

さて、13章まですこし粗筋を説明しておこう。

Prologue

ここはちょっと難しい。地下室に1369個の電球をつけて住んでいる。このあたりは解釈がいろいろあるが、アメリカの黒人知識人の伝統のようなものもある。ニューヨークに出てきて、Alain LockeLanguston Hughesにあう。うーん、この二人についても説明したいところだが、後にしよう。ここでルイ・アームストロング"What Did I Do to Be So Black and Blue?"が導入される。これが素晴らしい。また前衛的な記述の中で音や色が提示される。ここの説明だけで、長くなりそうだ。とりあえず、耳に響きを残す。

第1章

大学に行くための奨学金をもらい、その授賞式に行く。お金を出すのは白人で、そのパーティは金髪の女性のストリップショーと、黒人青年のボクシングが見せ物であり、そこで戦うことを「奨学金」をもらっているのに、要求される。このむちゃくちゃな感じをグロテスク祝祭感覚によって、超絶的な文学テクニックで描いている。いまも権力と欲望が渦巻く世界はおなじようなものだ。エマソンはここを描ききる。ドフトエフスキーとエリソンが比べられる所以だ。また奴隷として生き抜いてきた祖父の誇りと奴隷制度への祖父の怒りを主人公が引き継ぐ神話的な記述もある。

第2章、第3章、第4章

主人公はアラバマ州のタスキギ・インスティテュートに進学する。ブッカ・T・ワシントンが作った大学だ。黒人は黒人の分をわきまえて、手に職をつけて、アメリカ社会の中で生きていくことを主張する。モダニズムを否定したワシントンの考えは批判されてきたが、手を使ってモノを作ることで機械がモノを作る資本主義の根本をひっくる返す可能性も実はもっている。これが序章で地下室で工作Tinkeringをしているイメージと重なる。しかし、黒人の場所を作り、白人からお金を獲得して、しかし魂は白人に売り渡さないという高度な生き方を、主人公は学べない。ボストンのエリートの白人(ノートン氏)を、近親相姦で娘に子供を産ませた男が住む家と売春婦達がいる場所(the Golden Days)につれていくなど失態をする。このあたりのエリスンの描写力は超絶的で、T.S.エリオットに匹敵すると言われる。

第5章、第6章

ここは強烈だ。大学にHomer A. Barbeeという牧師がやってきて、ブッカ・T・ワシントンを称える説教をする。黒人の牧師の教会での説教を文章にしている。ここもまた超絶である。ここの描写と朗読がなんとも胸に迫る。そのあと、今の学長であるBledsoe氏に主人公は会う。彼の人種と権力を巡る政治的行動に主人公は幻滅する。が、ノートン氏を引きずり回した責任を取らされて、退学になる。

第7章、第8章、第9章

主人公はニューヨークに向かう。二つの物語が錯綜する。ひとつは学長のBledsoe氏にもらった推薦状をもって職探しをする。その推薦状には「この男を世の中で活動させてはいけない」と書いてある。主人公のイノセンスが現れているところだが、能力があると上の者に認められたにもかかわらず、現状のシステムに収まることを拒否した若者が経験する、ある意味一般的な試練である。

もう一つは、1920年代30年代のハーレムに生きているジャズマンあるいはジャズ的生活をしている人に主人公が会うシーンである。確立した社会システムに受け入れられることを夢見ている一方で、自分を生かしたいとおもっているナイーブな主人公の前に、自分を生かして、いまある社会システムは関係ないよ、というジャズ的信条をもっている人が次々登場する。面白い。

第10章から第12章

主人公は生活費を稼ぐために工場で働く。ここはなかなか考えさせられた。工場で働くことの意味、みたいなことは今でも同じだ。素材を機械で加工して何かを作り出す現場は労働として非常に厳しい。その一方でその場を維持して生産をつづけるということは達成感があってやりがいがある。職人の誇りもここにある。搾取とは職人の誇りを利用して生産を行い、その利潤を生産を担った者に戻さない仕組みである。まあ資本主義はその構造だ。この生産の現場をエリスンは描き出す。この筆力は大変なものだ。主人公は事故にあってこの現場から去る。そしてハーレムに戻る。

このさき続く。
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by naohito-okude | 2009-12-17 23:43 | 外国語
昔からラルフ・エリスンが気になっていた。1981年にアメリカに留学したときに、ライブラリー・オブ・コングレスで彼の朗読を聞いたことがある。20世紀最大の小説家の一人だろう。Kindleの待ち受け画面に彼のポートレートを見て、まえから気になっていたことをやってみようと思った。

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それはInvisible Manをしっかりと読み込んで行うラルフ・エリスン研究である。大分前から手がけてみたくて本はそろえていた。だがなかなかの大物だし、アメリカ研究で博士号ととったとはいえ、20年以上前の話だし、いまはインタラクションデザインの研究をしている。だが、ジャズの専門家でもあるこの20世紀の大物の作品を深く考えないのもなんだなあと思っていたのだ。

そこでInsivible Manを購入してみた。読み上げ機能もあるのでそれをOnにして活字をおっていった。そのうちにKindleの読み上げ機能ではやはり感じが出ないと、Random House AudioからAudiobookを購入。
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CD16枚。18時間30分。いま2枚目の終わりくらいまで聞いているが、なかなか感動。最初の箇所は前衛小説なのでちょっとイメージが掴みにくいが、回想になってくると文章は分かりやすく、快調。

朗読は俳優のJoe Morton。
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by naohito-okude | 2009-12-13 21:10 | 外国語
何回か英語で講義をしてきたデザイン思考ワークショップを英語の教科書にしようと作業を始めた。デザイン思考ワークショップは、僕が長年行ってきている授業を英語で集中講座としてワークショップ形式で行うために開発した。CRESTの研究支援を受けている。KMDとシンガポール国立大学が共同で設立したCute Centerの研究員に向けて開催した。この経験を元にGSのプロジェクトでワークショップを行い、さらにシンガポールのデザインカウンシル主催のワークショップとして三回目をおこなった。受講生は研究所の研究員、大学の教授、若手教員、プロのデザイナーなど多岐にわたる。アウトプットも非常に面白い。

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本の執筆に辺り、良い機会なので英語のブラッシュアップを行うことにした。実際の講義ではなんとなく現場で身振り手振りで乗り切っているところがあるのでそのあたりもきちんと文章にしておこうと、自分自身普段はいい加減にしている英語表現のツメの練習も含めて、ちょっと頑張ってみることにした。もちろんいくら頑張ってもいまの実力を短期で超えることは出来ないので、実際の執筆に当たっては二人の助っ人を頼むことにした。Cute Center の研究員であるMiliとYanYanである。最初は受講生として、二回目はワークショップの運営責任者として手伝ってくれたのでデザイン思考に関する理解は十分である。まずは大体の章立てを彼女たちに送った。これをもとに具体的に作業を進めることにした。

本の構成

本の構成を考えて、手伝ってくれるMiliとYanYanにメールする。

Introduction
chapter 1: What is Design Thinking
Chapter 2: Philosophy and Vision
Chapter 3: Ethnography Method
Chapter 4: Fieldwork Analysis
Chpater 5: Build to Think
Chapter 6: Final Presentation



一方僕の方の英作文力のブラッシュアップも始めることにした。

行方さんが『英文快読術』で述べている方法を使ってみることにした。

ラフカディオ・ハーンの雪女の電子ブックをamazonで購入。kindleで読めるようにした。

ステップ1 何度も音読
ステップ2 自分の力で翻訳
ステップ3 英語に戻る
ステップ4 原文と比べる

良い例文の暗記として
佐々木高政 『和文英訳の修行』 暗記用例文500

が彼の薦める方法だ。それでは始まり。

12月12日 第1日目

まずは朗読から。
1回通して読む 12分
2回挑戦。

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げ、このレベルは読むのは簡単。とはいえ、このレベルの英文はかけないよな。というわけでなので、読むのと並行して、自分の力で翻訳をやろう。それから英語の戻す。

佐々木氏の『和文英訳の修行』は大学院時代につかっていた。
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30年以上前。でも読み返してみると、なんだか身にしみてよく分かる。10づつやれば2ヶ月くらいだな。
iPhone アプリの「単語カード」を購入。Mac側で質問と答えをつくって、無線LANで同期。あっさりとフレーズ記憶カードが作れる。非常に便利。ついつい32番目まで作った。

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道具を使っているのが楽しいのか勉強が楽しいのか、といえば道具が先行しているような感じもするが、うまく勉強が進むといいな。
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by naohito-okude | 2009-12-13 01:32 | 外国語
それは突然のことであった。昔、デザインや哲学を勉強していたときはフランス語、スペイン語、イタリア語には興味があった。すこし手も出していた。しかし、こそこそと英語の森に逃げ帰っていた。その後、英語が急に国際語になり、まあそれでいいかなとおもっていたところ、世界情勢が大きく変わり始めているではないか。アメリカの時代は終わり始めている。

中国語という選択もあるが、ヨーロッパの文化や哲学が直接気になる。またKMDの大学院生でヨーロッパやアラブからきた人間はフランス語を話す。さらに、イタリアのローカルな活動は面白い。というわけで、一気に学び直しをすることにした。昔ある程度やっていたフランス語とスペイン語、わかったようなわかんないようなイタリア語の3つだ。教材は『星の王子様』。ついでに英語と日本語の5カ国語でやってみることにした。

どうせやるなら同時にやりたい。だが、言語学者の黒田龍之助氏は『語学はやり直せる』で、複数の言語を同時に勉強してはいけない、と述べている。さてこまった。でも、彼によると、同時に始めなければいいみたいだ。そこで、時間制限をつけてやってみることに。まずは、3ヶ月ずつ3つの言語に挑戦することにする。

方法は僕が薦めている英語学習法と同じ

(1)基本的なテキストを何度も音読する
(2)テキストの付いた生の教材を繰り返し聞く。
(3)毎日新しいイタリア語、スペイン語、フランス語を聞く
(4)読書を通して語彙を増やす
(5)文法を勉強する
(6)実践で使う


で、基本的に同じ教材を使うことにした。そのまえに
(0)文法・発音の勉強
がある。いくつか入門書を手にしてみた。初級文法はすませておかないと(思い出してておかないと)まずい。CD付きのものが大分でているので比較しながら進めていくことにした。(1)は星の王子様を選んだ。日本語、英語、フランス語(これがもとだけど)、イタリア語、スペイン語で入手してCDもそろえた。まあこれ一冊を何度も読んで基本を作る。(2)もできれば同じ話を5カ国語でよんでみようとしている。アガサ・クリスティを始めいろいろでている。(4)は調べないと分からないが、まあ多読戦略をたてるくらいに言葉が出来るようになることがまずは目的だな。(5)はまあ進めていけば良い本が出てくるだろう。(6)はむしろここからはじまっているので、問題はない。

というわけで始まり始まり。

フランス語 第1日目(2009年12月12日)

まずはフランス語から。アマゾンで調べて入門書を見つけた。『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある』を購入。著者は清岡智比古。CDがついているのでiTuneへコピー。こうした音の教材が非常に安価に手にはいるのは35年前に比べて圧倒的な違いだ。手本となる音がないと音読法は使えない。あと、薄いこと。簡単なことから勉強しないと分からなくなる。あとまあ項目わけが妥当なこと。大体30課ちょっとくらいある。ここを終了してから『星の王子様』に取りかかろう。

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発音は国際発音記号をマスターしておけば、あとはCDでどうにかなる。というか、聞いてもどうにもならないので音読による筋肉訓練だが、三カ国語学習といっても、まあロマン語系だから、似たり寄ったりだ。文法は言葉に慣れることだ。初級のレベルでは各国の違いを気にすればいい。単語は時間がかかる。なのでいそがない。

語学は時間をかけることと復習が命である。まあジャズも同じだな。あと、方法も音読と多読につきるのでみな似たり寄ったりだ。では、早速始めよう。

CDに会わせて1時間10分ちょっと。

ABC、数字、名詞、冠詞、人証代名詞、主語、指示の表現、否定の表現、形容詞、前置詞と定冠詞の縮約、ーーer動詞、疑問形、指示形容詞、疑問形容詞、所有形容詞、aller/venir、疑問副詞、疑問代名詞、動詞活用、比較級、最上級、非人称表現、命令形、人称代名詞、直接目的語、間接目的語、強勢形、複合過去(直説法)、関係代名詞、強調構文、指示代名詞、代名動詞、単純未来、en, y, le, 半過去、受動態、現在分詞・ジェロンディフ、条件法現在、接続法。だいたい第2外国語としてフランス語を習うときの初級の一年分。

これなら一日でできる、というわけで、1回目終了。これを音読メソッドによれば、100回だけど、まず最初30回で、1ヶ月続けて見よう。次回のこの項目のBlogは一週間後。
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by naohito-okude | 2009-12-12 20:25 | 外国語