奥出直人のJazz的生活


by naohito-okude

シンガポール文化事情

10月11日 日曜日

The Sunday Timesシンガポールの新聞を読む。

いろんな記事があり、時事関連は追い切れないので自分の興味のあるところをつまみ読み。

"Ochard Rd's right up my alley"

シンガポールの新聞Straits Timesのコピーライターとして一年半前にロンドンから夫婦と小さな子供(三歳)と移り住んできたLiam O'brien氏のコラム。シンガポールのオーチャード通りのような中心地を歩いているとストリートライフがない。乞食や酔っぱらいや物売りがいない。それは新参者にとっては不思議に見える。その理由はどうであれ、この現象はいいことではないかと思える。公共の場所をリラックスして楽しく散歩できることは素晴らしいことなのだ。人もゆっくりと歩いている。街の雰囲気がとてもいい感じだ。

国民の自由や権利をめぐっていろいろと人権上の問題をおこしてきたシンガポールだが、豊かになってみると、公共空間の質を維持した効果が出てきていると言うことなのかもしれないが、本当の意味で質の高い生活を提供できるかはこれからが勝負になる。シンガポールのあり方に関しては注目しておきたい。

”Bright lights in Little India"

シンガポールのリトルインディアでのヒンズー教のお正月にあたるディパバリ(Deepaval)、光の祭りとも言われる、が行われたという記事である。

シンガポールはアメリカの中西部の高級ショッピングモールのようなビルを沢山建てて、そのなかは英語が中心である。だが、その一方で民族文化と母語を維持する政策も採用している。

以下、下記のWebを参考にしならが自分のコメントも混ぜて書いておく。

http://www.kirihara-kyoiku.net/peripatos/06/02.html

 現在、シンガポール国民の民族構成は、中華系76.5%、マレー系13.8%、インド系8.1%、その他1.6%(外務省ホームページ)となっている。1965年、長かった植民地支配を脱して、独立した共和国となったシンガポールは、複合社会を解体して、新しい国づくりをすることが求められることになる。そこで東南アジアの一国家としての主体性を強調し、中国人でもインド人でもないシンガポーリアンとしての統一意識を育成していく必要が生じたのである。 言語生活に関しては、英語、マレー語、タミール語、華語を平等に公用語としながら、実際上では英語を共通語とし、それに各人の母語を組み合わせる、現在まで続く2言語政策がとられるようになった。

英語が共通語であって母語ではない、という背景に異なる文化圏の人間がコミュニケーションする、という欲求がある。さらにリー・カンユーの哲学として、その英語も「英国の英語」や「アメリカの英語」であっては、その言葉を母語とする人間にかなわないだけではなく、その文化に植民地化されることになるという信念がある。したがって、英語ばかりの社会に思えるが、日常生活は母語であるそれぞれの言葉を使っている。

1965年にはかなり革命的だった「誰のものでもない、我々のための英語」というこの哲学は、英語のグローバル化が進行する中で、多様な英語がある、という認識が生まれてきている中で‘Englishes’として理解を得ている。コミュニケーションのための言語であるから、小学校4年生の時に試験を行い、その成績で能力別に振り分けている。すべての公立校が英語校となっており、母語、社会、道徳の授業を除いて、数学を含み基本的に授業は英語で行われているという。従って、週48〜49時限のうち7〜8割は英語で授業が行われていることになる。英語に早くならさないと授業に支障をきたすため、小学1年のときから英語に多くの時間が割かれているわけで、その成果は、TOEFLの平均スコアが254で、アジア各国の中でインドと並んで1位2位を争っている。小学校でこれだけの英語の学習をしていれば、中学校、高校、大学と学年が進むにつれて、英語の比重が高まるわけだから、英語教育の先進国と呼ばれるのは当然と言えば当然だろう。

だが、たかが254点である。昔のTOEFLスコアであれば600点を少し超えたくらい。日本人がアメリカの大学院に留学してどうにかついていけるかいけないかぐらい。しかし、これは実はいいことであり、英語は母語になっていない、ということだ。英語は母語ではない、という意識を国民に持たせている言語政策はさすがだと思う。

もっとも、シンガポールが世界経済に影響を与えるだけの力を持ち、国際舞台で自己表現をするようになり、再びコミュニケーション問題に直面している。国内の複数の文化を持つ人間に英語という共通語を与え、そこで教育をおこない、ビジネスを構築してきたわけで、その社会で通用する「英語」が世界舞台に飛び出したわけである。そこで2000年にシンガポール英語が外国人に通用しないとの理由で、学校では正しい『標準英語』を教えるべきだとするSpeak Good English Movementが政策として導入された。2001年後半には、政府は早くも、小学校、中学校両方の新しいシラバスを発表した。文法指導を徹底するようになった。

僕は慶應義塾大学の社会学研究科の大学院の修士の時に鈴木孝夫先生に薫陶を受けた。植民地支配から免れているという幸福をすてて、英語を学ぶことでみずから自己植民地化している日本の知識人を徹底的に批判した鈴木先生の議論は一方で言語学者としての圧倒的な語学力にも支えられていた。自己のプライドを失わないでかつコスモポリタンとして世界でコミュニケーションを行うにはどうしたらいいのか、を考え抜いて 「Englic」論を展開した。30年ほど前だったともうが、強烈な批判が世界中からくるとともに、よく言ってくれたという意見もあった。そのとき、先生が授業で何度も繰り返し言及していたのは、シンガポールの言語政策だ。リー・カンユーはイギリスの大学に留学したエリートだ。彼はイギリス人のように英語を話す必要はないと主張する一方で、多民族が共存する国家のコミュニケーションの言語として「英語」を選んだ。イギリス人のものではない「英語」である。これがEnglishesである。鈴木先生のEnglicと同じ主張だ。

いまシンガポール国立大学と慶應義塾大学が共同でつくった研究所Cuteセンターで大学院生や若手の研究者を教えているが、インド、マレーシア、中国本土、台湾、インドネシア、スリランカ、アメリカ合衆国などから来た学生に何かを教えるには英語を使わざるを得ない。だがそれはEnglicでいいのだ。その英語レベルはTOEFLで600点以上、感じとしては630点くらいにはなる。だがこれは母語ではないのだ。まあこの程度では母語になりえないけれど、しっかりとした母語があって、コミュニケーションとしての英語なのだ。その一方で母語を英語にしない言語政策もしっかりとおこなった。このしたたかな態度がいまのシンガポールを作り上げたと言える。

もちろん、シンガポールにはかなりの英語の達人がいるし、流れているテレビ番組などを聴くと母語としての英語だなというものも多い。英語が母語になっているシンガポール人はかなりいる感じがする。だが、このこととシンガポールでビジネスをすることは直接には関係していない。多くの要人が母語ではない英語で仕事をしている。多様な民族が一緒になってなにかをおこなうとき、誰のものでもない英語がいかにすばらしいか。鈴木先生が30年前に指摘したあるべき姿だと思う。

シンガポールの言語政策はもう一度大きく変わる予兆を見せている。北京語をもう一つのコミュニケーションの言語として使う可能性の検討が始まっているのだ。これについてもいつかここで書いてみたい。

さて、話をリトルインディアに戻そう。インド系の人たちが街を形成していてる。お祭りのイルミネーションが美しく、お店が遅くまで開き多くの人が訪ねたという。だが、今年は売り上げはあまり上がらなかったという。

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http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Deepavali,_Little_India,_Singapore,_Oct_06.JPG
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by naohito-okude | 2009-10-14 17:36 |